本
『ニーベルンゲンの歌』後編
(前編の感想はこちら)
やっと全部読み終わりました、『ニーベルンゲンの歌』。
ああ、疲れた……。
前編の時にも書いたけど、詩形式のわりには意外に読みやすくて面白かったんだけど、やっぱりこう、「寸暇を惜しんで」読みふける、というものでもなく。
読破に時間がかかりました。
後編は、愛する夫ジークフリート(本文中ではジーフリト)を殺されたクリームヒルト(本文中ではクリエムヒルト)の復讐劇。
なんというか、すごいです。
クリームヒルトはフン族の王様のところにお嫁に行って、そこの王様や家臣をそそのかせて仇である自分の親族を討たせようとするんだけど、それがすさまじい大殺戮になって、最終的に両軍とも「そして誰もいなくなった」状態。
ひょえ~~~。
女の恨みは怖ろしいというのか。
憎しみはなにものをも生まないというのか。
クリームヒルトって、確かジークフリートが死んでから13年間自分の親族の国でおとなしく暮らしていて、フン族の王に嫁いでからも13年間おとなしく、「素敵なお妃」として暮らしていた。
つまり、復讐劇が始まるのは、ジークフリートの死後26年も経ってから。
もう時効やぁん、って感じなのだ。
そりゃ、もちろん、愛する人を失った哀しみに時効はないでしょうが、26年前のことが原因で皆殺しかよ、って思うよね。特にフン族の軍隊の方は、王様の後妻の26年前の個人的な恨みのせいで、全滅の憂き目にあうんだもの。
彼らにとっては何の関係もない事件のせいで。
それだけクリームヒルトは一人の男に愛と誠を捧げていたのだ、っていう話ではないよね、やっぱり。
憎しみは悲劇しか生まない、って話でしょう。
なんか、解説のところに、クリームヒルトが夫への愛のために自分の一族を皆殺しにするのは「キリスト教的価値観」だってことが書いてあったんだけど。
「神によって結ばれた夫婦関係は神聖なもので、血縁よりも重視される」みたいな。
うーん。キリスト教って、そーゆー教えなの??? 血縁関係は「神によって結ばれたもの」じゃなくて偶然の産物なわけ?????
誰を親に生まれてくるか、本人は選べないんだから、これこそまさに「神の配剤」ではないかと私なんかは思うけどなぁ。
クリームヒルトって、フン族の王との間に息子をもうけて、でもその息子を平気で生け贄のようにしちゃうんだよね。敵方に王子を殺させることで戦いの火ぶたを切ろうとする。
愛するジークフリートとの間にできた息子も、ジークフリート側の国に置きっぱなしで、クリームヒルトは養育もしなければ、愛着もなさそうで。
まぁ、この「ニーベルンゲンの歌」においてキリスト教の影響はさほど強くなく、むしろ骨格は異教徒の英雄譚で、「親より夫」「子どもより夫」っていうことが「主題」というわけでもないのでしょうが。
じゃあ主題は何かといったら、やっぱり「争いの無意味」?
途中、フン族側からも敵側からもその死を嘆かれるリュエデゲールって人が出て来るのね。
この人はフン族の王に仕えている勇士だけれども、敵方ともよしみがあり、他ならぬ彼自身が敵方の王侯軍隊をフンの国に案内してきて、自分の娘をクリームヒルトの弟に嫁がせる約束までしている。
「だから私は彼らとは戦えない」って言うリュエデゲールを、クリームヒルトとフン族の王は無理に戦わせるんだ。「おまえはわしの臣下だろうが」と言って。
敵方の方も、「あなたとは戦いたくない」って言うんだけど、もうリュエデゲールにはどうしようもない。敵に寝返るわけではなく、ただ争いを避け、「どこかよその国にでも追放してください」って言ってるのに、「おまえはわしを裏切るのか」って逃げることすら許されない。
かくなるうえは討ち死にするしかない、って言って、彼は娘の婿となる男の兄と相打ちして果てる。
ここの一章は、なかなか素晴らしかった。
こーゆーことって、いつの時代にも、どこの国にもありえるでしょう?
個人的にはいくらでも友好を結べるのに、民族の違い、宗教の違い、属する集団が異なっていたがために、戦わざるをえなくなる。
リュエデゲールの死を歌った第三十七歌章こそがこの叙事詩の白眉であり、普遍的名作となる由縁ではないかと私は思います。
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