Gacktさんファンクラブ会員専用SNSに参加してはや1週間。

つくづく、「こーゆー文章を書くのは苦手だ!」ということを実感している。

「こーゆー文章」が「どーゆー文章」かっていうと、個別の人に向けて絵文字など入ったコメントやメッセージを送るという、つまりは「ケータイメール」のような文章だ。

ケータイメール、実はすごく苦手。絵文字をうまく使うこともできなければ、気の利いたことも書けない。用件のみのすごく素っ気ないメールとか、「ですます」のどこか他人行儀なメールとか、がんばって砕けた調子で書いたら、「あんなこと書いて良かったのかなぁ」と後からものすごーく気になったり。

「書くこと大好き」でblogも毎日更新、手書きの日記も書いて、出版予定のない小説も書いて……の私なんだけど、考えてみればそもそも「手紙」というのがとても苦手だった。

「こんなこと書いて大丈夫かな?」「自分のことばっかり書いてないかな」などと色々考えてしまって、ちっとも進まない。ものすごく時間がかかる。

ケータイではない普通のパソコンメールも、書くのにけっこう時間がかかる。

まぁそれでも、パソコンメールの場合はくどくどと言い訳を書いたり、「長くじっくり」書けるのでいいんだが、ケータイメールで「長くじっくり」はないでしょう。

「反射的に返事をする」ができなくて、つい考えてしまって、どう書いたらいいかわかんなくなって……。

ケータイメールの場合は、「ママ友」だからよけいかなぁ、と思ってたんだけど。

「ママ友」って、「距離感」が微妙で、「そこそこ親しい」んだけど、でも「趣味」や「考え方」が必ずしも同じわけではなく、子どもや学校の話が主で、それも別に突っ込んだことをしゃべる必要もなくて、「社交辞令」的なことが多くて。

顔を合わせて「話し言葉」でしゃべるんだったら、それなりに普通に相手ができてると思うんだけど、「書き言葉」で「他愛なく」しゃべろうと思うと、すごくエネルギーを使う。

私は、「書き言葉」では「個的な会話」ができないのかもしれない、とSNSをやってみて思った。

中学の時から小説を書いて、「不特定多数」の人に向けて文章を書くことに慣れすぎているせいか、「特定の誰か」に向けて文章を書くのが、どうも私は苦手らしい。

なんというか、「話し言葉」には、表情やら声のトーンやら、「言葉」以外の要素がたくさん混ざり込んで、そのことによって「今ここ」のコミュニケーションが成り立っているんだけれども、「書き言葉」は、基本的に「誰がいつ読んでも意味が通る」ように書くものではあるから、たとえそれが特定の個人にあてた「手紙」であっても、どこかしら「普遍的な」性格を帯びてしまうような気がする。

自分の考えや、自分が考える物語を「普遍的に記述する」ことは大好きな私なんだけど、そればっかりやってきたせいか、「記述するのではない、“今ここのコミュニケーション”としての書き言葉」というのが、なんだかうまく扱えない。

SNSの他の人の書き込みと自分の書き込みを見比べると、「文体の差」が歴然としている。

一人だけ、「教科書」みたいな……。

すぐ、長々と説明したくなるし(笑)。

「そうか、よけいなこと書かなきゃいいんだな」と思って、ちょっと努力している今日この頃。

でも「反射的にノリで返そう」と思うと、やっぱりなかなか言葉が出てこなかったりして……うーん、難しい。