昨夜、『エンジェルハート』の28巻を読みました。「一体いつまで続くのん?置き場所なくなってきたで」と思いながらも、読むとやっぱり「ええなぁ。買い続けなしゃあないなぁ」と思ってしまう作品です。

今回も、うるうるさせていただきました。

もう、毎回読むたびに涙流してる気するわ、私。

北条さんってば、ほんとうまいんだから。

なんというか、「大人のマンガやなぁ」って思う。「モッコリ」が、じゃなくて(笑)、「生と死」について考えさせられるところ。「愛」にしても、「大人の愛情」って感じで、なんかすごい深いっちゅうか、「クリスマスに一人じゃつまんない」というような「恋愛」じゃないし。

今回、余命いくばくもない女性とその婚約者が結婚式を挙げるシーンで、リョウちゃんが香のことを思い出してて……。ウエディングドレスを着て、記念写真を撮ろうとしていた日に、香ちゃん死んじゃったでしょ。

「余命いくばくもない」彼女と式を挙げて、最後の日まで一緒に人生を過ごしたい、っていう花婿さんの気持ちはとてもよくわかって、でも「彼女が死んだ後」を生きているリョウちゃんには、やがて彼らの上に訪れる「死別の苦しみ」が見えていて……。

つらいなぁ。

彼女の心臓の鼓動に、「この音が、何か月か後には永久に消えてしまうんだ」って、「彼女の死」を実感するシーンがあって。

もう、ほんま、つらいわぁ。

でも、考えたらみんな、いつかは死んでしまうんだよね。

そういうこと、普段は意識せずに生きてて、来年も再来年もその次も、自分や大切な人にクリスマスは訪れると思ってる。

お互いが今、こうして生きていることの奇跡、尊さなんか、普段は忘れてる。

別に病気じゃなくっても、みんな明日死んでもおかしくないのに。

明日どころか、今、この瞬間にも。

そういうこと、忘れてるな、って『エンジェルハート』読んで考えてたら、今朝読んだ内田先生のblogがまた「有限の時間の中で生きる」というようなお話で。

私は「カウントダウン」好きなのである。
あらゆるものは「いつかなくなる」。
「いつかなくなる」と思ってみつめていると、いまそれがここにあるということが奇跡的なことのように、恩寵のように思えてくる。


私は、「カウントダウン」して「終わっちゃうんだ」と嘆くのが好きなんだけど(笑)、そういうふうに「有限である」ということを意識して生きていくのって、やっぱり間違いじゃないんだなぁ、と思った。

まぁ、「有限」だと意識してるわりには、「優先順位の付け方」に難のある暮らしをしているけれども。

でも明日死ぬかもしれないのに、掃除なんてしてる場合ちゃうやん?(笑)

それにしても。

「香ちゃんが死んでいる」というのは、すごいなぁ。

『エンジェルハート』が始まった時に、のっけから香ちゃんが死んでて、「シティハンター」ファンとしてはものすごーくショックだったんだけど、香ちゃんが死んで、その心臓でグラスハートが生き返って、そこから「生と死」や「愛」をめぐるいくつものエピソードが生まれて。

純愛モノに難病とか「どっちかの死」がつきものなのは、なるほど「時間を限定されると貴重さが増す」ということなんだろうけど、リョウと香ちゃんの「愛」は決して前面にどーんと出てくるわけではなく、「ベース」として流れてて、だからこう、押しつけがましくない「大人の心の琴線に触れる物語」になってる気がする。

最愛の人は、そこにいるんだけどいなくて――いないんだけど、いる。

みんな死んじゃうってなぁ。

いやだけど。

でもやっぱり、だからこその「命」なんだろうなぁ。