なんか意味深なタイトルですよねぇ。『あなたの苦手な彼女について』。

一体どういうことが書いてある本なのか、想像できそうで想像できない。

「女の人との付き合い方」を書いてあるようにも思えるし、「苦手な彼女」なんだから、「恋愛」よりも「ヤな女の同僚」とか、「口うるさいお姑さん」とか、そっち系統の「傾向と対策」を書いてある本かもしれない。

で。

親切な橋本さんは、ちゃんと「はじめに」のところでこのタイトルの意味と、この本が「何を問題にするか」を説明してくれています。

もう私も書いちゃいましたけど、「苦手な彼女」と書くと、「恋愛論」じゃなくなってしまうんですよね。

「苦手な女について」だと、「女の人と付き合うのが苦手」という男子に対して、「どうすればモノにできるか」を指南する方向に行ってしまうんだけど、「苦手な彼女」というふうに「具体的な誰か」を指すようにすると「恋愛」ではない「対処の仕方」になる。

なぜかというと、男にとって「女」というのは「恋愛対象になる女」だけを指す言葉だから。

「恋愛対象にならない女」は「女」じゃないんです。

ああ、ミもフタもない(笑)。

だから、この本の表紙の「概要説明」みたいなところには、

『男は、「女」を差別なんかしません。その逆に、大切にしようと思います。でも、この「女」は、「自分の恋愛の対象にしたいと思う女」だけです。そこからはずれたものは「女」ではなくて、ただ「どうでもいい」なのです。…男にとっての「男女平等」は、「どうでもいい女をどう位置づけるか」でしかない』

と書いてある。

わはは。

本当に、感動的な文章です。

こんなにもあっさりと、「女性問題」の本質をついてしまった言葉は、他にないのではないでしょうか。

ものすごーく納得しちゃったもん。

そりゃそーだろーなー。

女からしてみても、やっぱり「どーでもいい男」の位置づけなんか、どーでもいいもんね(笑)。

ただ、世の中は「男社会」で、「男に都合のいいようにできている」から、女が「どーでもいい男」をどのように位置づけようと関係はない。男達の間で、自分たち同士を位置づけることができていれば、それで何も問題はない。

翻って、女は「男社会」の中で「位置づけ」を欠いている。男の「恋愛対象になる女」は「恋愛対象」として「位置づけ」を得るけれども、そうじゃなかったら「どーでもいい」のほったらかしなので、世に「女性解放運動」は起こるというわけなのですね。

この本は、そういう「女性問題」に関する諸々を色々と具体的に、時には平安時代の清少納言やもっと昔の持統天皇、『古事記』に描かれた神話世界まで引っぱってきて説明してくれます。

清少納言って、「宮仕え」をしている女で、当時の「キャリアウーマン」なんですよね。彼女の『枕草子』の中には、「専業主婦」を罵倒する文章もあって、「才能豊かな自立したキャリアウーマン」を快く思わない男達もやっぱりいた、なんてことも窺えて、平安時代も現代も、「男と女の風景」はそんなにも変わってないんだなぁ、と思ったりします。

橋本さんの本はあちこち色々な話が信じられないほどスムーズに流れて、読んでいる時はすごく面白くて「わかった」気になるんだけど、読み終わると「それでこの話は何だったんだ?」と思わされることが多々あります。

なんか、どうまとめりゃいいんだかわからないというか。

また最初に戻って考えなきゃならないというか。

「考えるヒント」はいっぱいあげたでしょ、だから「結論」は自分で出しなさい、になっている。

これもやっぱりそーゆー本で、読み終わった今、どう紹介すればいいのか、どうまとめればいいのかよくわかんないんだけど。

「大卒の女子が農家の嫁になることを普通“社会参加”とは言わない」

これが、私にとっての一番のポイントでした。

「女性の社会参加、社会進出」というと、それは「外で働く」「企業に勤める」を意味して、「農家の嫁になる」とか、「自営業者の妻になって店番をする」とかいうことは「別物」だと思われている。

「専業主婦」という言葉が一般に普及する以前。つまりは男達の大多数が「サラリーマン」になる以前、女達は普通に家で男達と一緒に「働いて」いたわけです。

畑や田んぼの世話をしたり、赤ん坊を背負って八百屋の店先に立ったり。

まぁ、「社会の中での女性の位置づけ」はやっぱりたいしてなかったのでしょうが、「女性が働く」は別に珍しいことでもなんでもなく、そんなこと言ったら「子ども」でさえなんらかの「労働」を担っていたのですよね、かつては。

「家」と「仕事」が一体になっていた時代には。

それが「働く=企業に勤める」になって、「家」にいる女や子どもは「働かないもの」になった。電化製品や既製服のおかげで「女が家でする労働」はどんどん軽減されて、そんなものは「働く」のうちにカウントされなくなって。

そして。

「就職で女を差別するな!」というような運動が起こるようになる。

「働く」が「家」と切り離されてしまったことって、すごく色々な問題を生んでいるんだよね。「子ども」が生まれた時から「消費者」で、「“働く”の意味がわからない」っていうのもそうだし、定年退職で「家」にいるようになった夫が目障りでしょうがないっていうのもそうだし(笑)、「年金問題」だってそう。

農家や自営業には「定年」なんてものはなくて、「体が動く限りは働く」で、「何歳から後は働かないで年金で暮らす」という発想はない。

「働かない」わけじゃなくて、「どこも働かせてくれない」ではあるのでしょうが、それもつまり「どこかに雇われなければ“働く”ができない」ということなんですから。

「家内制手工業」とか、せめて「工場制手工業の時代に戻れば?」という話はこれまでにも橋本さんの著書に出てきていますが、なるほど「女性問題」もここに絡むか……と感心。

あと。

最後に、「なんで“結婚”が成立しにくくなったのか」という話が出てきます。

ここも、とっても面白い。

なるほどなぁ、と思います。「なんで俺、結婚できないんだろう」とか、「なんでうちの娘はいつまで経っても嫁に行かないのかしら」と思っている方、是非ご一読を(笑)。

もちろん橋本さんは「だからこうしろ」なんて「安易な解決法」を教えてくれる人じゃありませんけどね。

そしてまた、「苦手な彼女」が「女性に限らず」の話になってしまう最後の最後。

これもまた、今の「困った人々の多くなってしまった」社会を考える上での、興味深い視点です。

「働く」の意味が変質すると、「社会の成員としての自分」という「位置づけ」がなくなっていくのですよねぇ。