橋本治さんの本は8割方持っていると思うのだけど、この本は入手できず、未読のままだった。

1989年(おおっ、もうほとんど20年前だ!)に単行本が出て、その後文庫でも出たが、どちらも絶版状態。読もうと思ったら図書館で探すしかない。

ので、先日『北斎展』を見に行った時に、美術館のすぐ隣の県立図書館に寄ってて借りてきた。

たまたま、「県立だったらあるだろう」と思っただけで、浮世絵から連想して「江戸」本を探したわけではなかったのだけれど、借りてみたら表紙は浮世絵だし、「浮世絵から考える江戸という時代」みたいな文章もあって、北斎の名も出てくるのだった。

なんか、思いがけず繋がっていて嬉しい[E:clover]


『江戸にフランス革命を!』というタイトルから、私は勝手に「なぜ江戸には明治維新しか起こらなくて、市民革命が起きなかったのか。豊かな町人文化を花開かせ、当時世界一清潔で文明度の高かった江戸に市民革命が起きていたら、その後の日本のたどった道は全然違うものになっていただろう」というようなことが書いてあるのだろうと想像していた。

そうしたら、全然違った。

いや、まぁ、「全然」というわけでもないのだけど、橋本さんが色々なところに書いた「江戸」関連の文章と、何本かの書き下ろしを1冊にまとめたもので、「最初から順を追って江戸にフランス革命が起きなかった理由を探る」というような本ではなかった。

最初の方は歌舞伎の話題。

橋本さんは東大の国文科出身でいらっしゃるけども、そもそも歌舞伎の研究がしたくて国文科を選ばれたらしい。

『大江戸歌舞伎はこんなもの』という著作もある。


歌舞伎なんて、生で見たのは中学の研修観劇と、たまたま吉右衛門さんが池田で公演された時の2回だけというシロートの私、『大江戸歌舞伎は…』は途中で挫折。

でも『江戸にフランス革命を!』の中の歌舞伎ネタをとばさずに読めたのは、ちょっとでも『大江戸歌舞伎は…』を読んでいたおかげかな。


歌舞伎って、今では「特別な人が見る高尚な伝統芸能」のようなものになっているけれど、江戸時代の歌舞伎は庶民の娯楽。

大衆が、自分達のための「演劇」を持っていたっていうのは、世界史的に見て珍しいらしい。

浮世絵も、歌舞伎の役者絵を主として発展・隆盛した。

役者絵は、いわばスターのブロマイド。

お城のふすま絵を描くような「ちゃんとした絵師」とは違う、庶民のための絵師が浮世絵師で、つまり日本にはもう江戸時代からサブカルチャーがあったということなのだ。

日本のアニメが世界を席巻するのは故なきことではないというか。


橋本さんは国文科の後、美術史の研究生にもなられ、自身イラストレーターとして出発してらして、『ひらがな日本美術史』という著作もある。

なので浮世絵についての考察も詳しいのだけど。

北斎って、浮世絵師の中では特殊な存在だったんだね。

さっき「浮世絵は役者絵を主として発展・興隆」って書いたけど、北斎は役者絵を描いてない。

読本挿絵の世界にいたのが北斎で、「挿絵」という、「人物だけでなく背景をも描く」絵を描いていたからこそ、「富嶽三十六景」のような「風景画」を描けたと。

そしてまた、「読本挿絵」という「ドラマ」を描いていればこそ、北斎の風景画は人間以外の自然までが「芝居をする」。

北斎と広重の比較とか、なるほどと思った。

あと、浮世絵師の「肉筆画」ってつまんないものが多いらしいんだけど、北斎だけは別格なんだそうな。

北斎だけは、「肉筆画」でも素晴らしい画家だった。

浮世絵は版画で、「筆のタッチ」というものがなくて、色塗りも「版で刷る」から「フラットな面」になる。

だから同じ絵を同じように筆で描くと、「けばけばしいだけのつまらない絵」になってしまうらしい。

「版画」であるということが、浮世絵のあの独特の美しさを生み出したんだね。

言われてみればなるほどなんだけど、言われないとわからない。


明治になって、「ブロマイドなら写真がある」ということで、「役者絵を主としていた」浮世絵は廃れてしまう。

江戸の末期から明治の初め頃を生きた浮世絵師、月岡芳年の話がまた面白い。

この人、最後発狂して死んじゃったらしい。

江戸の町人文化が育んだ浮世絵。

明治になって、浮世絵の拠って立つ「江戸」は闇に葬られる。

その時代の変遷に合わせ、彼の作風は三段階に変化し、そして最後は、「浮世絵であることはもう不可能だ」ということでもあるのか、おそらくは時代と自身とをもう合わせることができず、発狂して死ぬ。

彼の生涯(というか絵の変遷)を追うだけでも、「江戸から明治への変化とは何だったのか」というのが見えてくる。

江戸とは何だったのか?

なぜ「江戸」には市民革命ではなく明治維新が起こって、そしてそれによって始まった「明治」とはどんな時代だったのか。

直接的な答えではないけれど、それに近いことが、本書の中盤、『江戸はなぜ難解か?』という章で語られている。

……というところで、以下次回。