私もいい加減しつこいですけど(笑)。
『最後の「ああでもなくこうでもなく」』についての、最後の感想です。
橋本さんの「あとがき」のところに、「『近代産業社会から決別しちゃえ』は、もう私の中では分かりきっていて、分かりきっているのなら、その先は具体的に『だからこうすべきだ』という方向に向かうべきなのだが……」(P344)という一節がある。
『近代産業社会からの決別』というのは、『貧乏は正しい!』とかの時にもう書かれていて、ずっと橋本さんの本を読んできた(考えたらもう20年も読んでる)私にはとってもなじみ深い。
『ああでもなくこうでもなく』が終わってしまうのはとってもさびしいんだけど、確かにもう、この後は「くり返し」で、あとは「それで私たちはどうするの?」でしかないから、これ以上続けてもおんなじなのかもしれない、って気はする。
橋本さんの言葉ばっかりあてにしてないで、自分の頭でちゃんと考えなきゃな、とか。
この本には2008年8月号までしか収録されてないから、今の金融危機については触れられてないけど、「サブプライムローン」のことは2008年2月号の「だから言ったじゃないか」という章にもう出てくる。
「貧乏人のことを考えない経済」っていうミニタイトルもあって。
サブプライムローンって、低所得者向けの住宅ローンだったわけだけど、それが全部焦げ付いて大騒動になったということは、そのローンを組んだ人たちはみんな、「借金が払えなくて破産した」ってことになってるんだろう。
日本人の感覚からすると、いくら「低所得」ったって、「家を買おう、ローンを組もう」と思うぐらいなんだから、「それなりのお金は持っている」人たちだろうと考えてしまうんだけど、色々ニュースとかで聞いてると、どうもそうではないらしい。
最初っから「そんな借金返せるわけない」という人たちだったみたいで。
貸す方は、「現金で返してもらわなくても、“家”が担保になってて、土地は値上がりするんだから損はしない」だった。
でも土地の値が下がったので、担保の“家”を巻き上げても貸した金には足りなくて、貸した方は損をして、「債権が焦げ付く」になった。
借金が返せなくて、せっかく買ったはずの家も巻き上げられた、「借りた人」は今どうなってるんだろう。
「貸した方」には税金が投入される。
でも「借りた人」はきっと「自己責任」で、ほったらかしにされてるんだろうな。
やっぱり、「景気を成り立たせてる人たち」は全然いい人なんかじゃない。
こーゆー大騒動になって、でも「貸したり借りたりして金を回すことが経済だ」という仕組みを見直そうという話には、きっとそうそうならないんだろう。
日本の株式市場から海外の投資家が手を引いて、株価が下がってしまうから、「もっと日本人の個人投資家が投資しやすいようにしないと」なんてことも言われてる。金利がどんなに低くなっても、日本人はやっぱりあんまり借金しなくて、貯金ばっかしてるとか。
「借金なんかしないにこしたことはない」「素人が変な相場なんかに手を出さない方がいい」っていう日本人の考えは、いたって健全なものだと思うんだがなぁ。
『ああでもなくこうでもなく』の第1回、1997年の1月号には何が書かれてあったのか読み返そうとしたら、単行本が見つからない。
2巻目以降はすぐ目につくところにあるのに、肝心の1巻目は一体どこに置いてあるんだろう。本棚が崩壊寸前であっちこっちにごちゃごちゃ突っ込んであるものだから、こーゆー時に探せない。
1997年の日本には、どんなことがあったんだろうか。
この11年間の日本のあり方を振り返ったら、「この先どうしたらいいか」の具体的な手立てってものが少しは見えてくるかもしれない。
「次の衆院選では」と言って、共産党の宣伝カーが走っている――。
橋本治
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