橋本治さんの『ああでもなくこうでもなく』が、とうとう終わってしまう。

e-honの新刊パトロールでメールが来て、『最後の』とついていることにびっくりしながら早速注文。

私が注文したら、「在庫あり」だったのが「お取り寄せ」になった。

おおっ、最後の1冊。

Amazonでは、まだUPされていない。

遅いぞ、Amazon!(……この部分は10月11日に書いていた。その時点ではまだAmazonでは出てこなかった。10月14日朝現在ではもうUPされている)


橋本さんの『ああでもなくこうでもなく』は、1997年に、雑誌『広告批評』で連載が始まった。現在までに単行本が5冊出ている。

この『最後の』単行本はだから6冊目。

(ちなみに過去4冊に対する私の勝手な書評は以下で読めます。

 ・『ああでもなくこうでもなく』

 ・『「日本が変わってゆく」の論 ああでもなくこうでもなく3』

 ・『戦争のある世界 ああでもなくこうでもなく4』

 ・『このストレスな社会! ああでもなくこうでもなく5』

なぜ連載が終わってしまうのかといえば、それは『広告批評』という雑誌そのものが終わってしまうからなのだそうだ。

この最後の単行本には「あとがき-あるいは、1980年代の『広告批評』」という章がくっついていて、なぜ連載が始まったのか、そしてなぜ終わるのか、ということがわかる。

『広告批評』という雑誌は来年の4月号でなくなってしまうらしい。

「ああでもなくこうでもなく」の連載はその最後の4月号まで続くけれども、単行本としてはこれが最後になって、だからすなわちここに収録されない半年あまりの、本当に「最後の最後のああでもなくこうでもなく」が読みたかったら、『広告批評』本誌を買わなければならない。

まぁ、将来的に、何か別の原稿とともに単行本になることもあるのかもしれないけれど、私としては「ああでもなくこうでもなく」はそれだけで本になっていてほしいし、「もう終わる」ことがわかってるんだったら、どうして「本当の最後」まで収録せずに、この半端なタイミングで「最終巻」を出したんだろうとも思う。

この単行本には2008年8月号までの分が収録されていて、あとがきを含め全346ページ。

あとまだ8か月分も入れたら、確かに分厚くなりすぎるとは思うけれども。


『広告批評』に限らず、雑誌の休刊・廃刊は相次いでいる。

私はもともと雑誌というものをまったく読まない人間なのだけれども、やっぱりネットの出現によって、必要な情報はネットで手っ取り早く仕入れる時代になってしまって、わざわざ「紙」で買う人が少なくなってしまったんだろうなぁ。

ファッション雑誌なんて、広告ばっかりでそもそも「読む」とこほとんどなかったし、字ばっかりのお堅い言論系雑誌の方は、それでなくても読者が限られていたろう。

でも時代の変化は「ネット」だけじゃない。

「あとがき」のところに、もう1990年代ごろに、“『広告批評』の編集長である島森さんが「時代が変わった」と困っていた”、という話が出て来る。

1990年は平成2年で、つまりは「昭和の終焉」と「バブルの崩壊」が1990年代の前半を特徴づけるもので、その辺で「何か」は決定的に変わってしまって、仮にネットというものがここまで普及しなくても、『広告批評』やその他の雑誌は終わらざるを得なかったのかもしれない。

音楽でもなんでも個人の趣味嗜好が細分化して、「共有」ということができなくなって、言葉も「内輪だけの言葉」ばっかりになって、「外と繋がる言葉」がとても貧困になってしまった。

すべてはあふれているけど、でもただあふれているだけで、「そんなの関係ねぇ」というふうにどこまでいっても関係を持てない。


昭和が終わって20年経って、世界的な「バブル崩壊」が来て、今また「時代の転機」になっているような気がするけれど、いったん貧困になってしまった「言葉」が、再び「豊か」になるのは大変なんじゃないかな。

橋本さんの「あとがき」を読んで、なんだか非常にさびしくなってしまった。

 
「もう読めないんだな」ということを噛み締めながら読む最終巻である。