明日から鳥取である。

名探偵コナンの生みの親、青山剛昌さんを記念した「青山剛昌ふるさと館」というのが鳥取県にある。

でもって、「そういえばあんた(息子のこと)まだ鳥取砂丘見たことなかったねぇ」というわけで、今年の夏休み旅行は鳥取に決まったのだが。

よく考えたら、夏の砂丘って「砂漠」じゃないの[E:sweat02]

屋根がない。
陰がない。
ひたすらさんさんと降り注ぐであろう日差しと、熱い砂。

……考えただけで汗が……。

何もこんな真夏に行かなくても良かったな、とちょっと後悔[E:coldsweats02]
でもなかなか夏休み以外では旅行に行く機会ってないのよね。
近畿とか北陸とか、近場は別の季節にも行くけれど。

鳥取は、スーパーはくとで京都から3時間。滋賀からだともちろんそれ以上かかる。


鳥取砂丘へは、小学校の時に行ったことがある。

その後、会社勤めをしている時にも行ったらしいのだが、三朝温泉のことしか覚えてなくて、砂丘に寄った記憶がまるでない。

結婚するまでずっと住んでいた大阪府池田市は鳥取県の青谷というところに「市立青少年自然の家」みたいなのを持っていて(今もあるのかな?)、小学校の5年の時に「自然学舎」、6年の時は「臨海学舎」でそこへ行き、中学の時も1回「臨海学舎」で行ったような気がする。

5年の時は、鳥取砂丘とそのすぐそばの「こどもの国」に行ったのだった。

子どもの頃の写真が全部実家にある中、そういう学校関係の行事写真だけはほとんど手元にある。
日付と学校名と「自然学舎」というタイトル入りのクラス写真。
昨日見たら、小学4年生の時の遠足(生駒山宇宙科学館というところに行ったらしい)のクラス写真もあった。

小学4年生。

今の息子と同じ歳の自分である。

子どもって、自分の親や爺ちゃん婆ちゃんにも子どもの頃があったってことを想像できないもんだけれど、もはや自分でも

「あんた、小学生の頃あったん」

という妙な気分になる。

その遠足の時、雨だったことを覚えているし、確か私は科学館に着くなりトイレに駆け込んで、スクリーン上映だか「施設の人のお話」だかの最初の部分を聞き損ねたこととか、あとで雨が上がって、展望台かどこかから、雲の切れ間から地上へと降り注ぐ光の矢を友達と「きれいやなぁ」と眺めたことも覚えている。

覚えてるんだけど。

でも目の前の息子と同い年だった自分というのが、やっぱりこう、「ひょえ~」って感じで。
4年生の時の日々の感情なんて、さすがにわからないし。
覚えている色々な映像も、今の自分の目で眺めた、バイアスのかかったものなんだろうと思う。

ちゃんと赤ちゃんからだんだんに大きくなって、すべての経験や体験を糧にして今の自分があるはずなんだけれども、でもそんなの全部嘘で、突然5年前ぐらいに虚偽の記憶を植え付けられたんだとしてもおかしくないのかもしれないなぁ、って。

そうだったとしても、違いがわかんないかもしれない。

まぁ、そこに「子どもの頃の写真」というのはあるんだけど。

切り取られた過去の一瞬。

それは本当に、過去が存在したという証拠になるんだろうか?