昨年の春にも「1年遅れの写真の整理」という記事を書き、その後昨年の夏休み明けにも「100枚ほど写真をアルバムに貼ったがまだ今年の写真に辿りつかない」ということを書いた。

その後、まったく写真の整理をしていなかったと見えて。

アルバムは2006年の夏で止まってた。

フィルムカメラの頃は、できあがった写真を見ようと思ったら同時プリントするしかしょうがなかったので、撮ってはプリント撮ってはプリントして、その都度アルバムに貼るということをしていた(はず)のだけど、デジカメになってからパソコンに入れっぱなしでプリントしないことが増え、どんどんと周回遅れがひどくなっていく。

パソコンで見られるからいいじゃん、とはホントは思っていない。

データなんかいつ消えるかわかりません。

HDDはいつクラッシュしてもおかしくないし、CD-Rだって数年おきにコピーしないと「保証の限りではない」らしい。

もちろんプリントしてアルバムに貼っておいても、火事や地震といった災害で失われる可能性はあるわけだけど、それでもたぶんデータ紛失の可能性よりは確率が低いと思う。

「記憶」に固執する私としては、「プリントしなきゃ!」という強迫観念はずっとあるんだけど、

プリントしたらアルバムに貼らなきゃいけない
    ↓
これがけっこう時間がかかる
    ↓
あ~、めんどくさい

の三段論法でなかなか取りかかる気になれない。


一念発起して(そんな大げさな)、2006年の秋から2007年の5月までの写真をプリント。

やっと2007年の初詣の写真がアルバムを飾り、2007年春場所の朝青龍の写真とか



千代大海の写真も


アルバムに貼られました。

でも5月分がまだ未整理だし、それが終わってもまだまだ1年以上の遅れ。
掃除にしろ仕事にしろ、ため込むと後が大変だとわかっているのに……ううう。
blogを毎日更新する暇があったら整理すればいいのにね。


しかし、うちはそんなにも写真を撮りまくらない方だと思うけど、それでもアルバムの置き場所がなくなってきて、プリントを躊躇させる一因になっている。

記憶に固執する一方で、――というより、固執すればするほど――「すべては無に帰す」という思いも強く、一生懸命「何月何日××にて」というコメントを書きつつ写真を貼りながら、ふっとこう、「これはいつまで捨てられずに残るだろう?」とか、「こうして溜めていくことにどんな意味があるんだろう」とか、思ったりもする。

もちろん、私が生きている間はそれを楽しく繰って眺めることが年に数回はあるはずだし、息子の子ども達が「お父さん、こんな子どもやったんや~」と眺める未来もあるのだろうけれど。


……まぁ、どうでもいいから、早く貼っちゃいなよ。とりあえず去年の5月分……。