橋本治さんの『いちばんさいしょの算数』第2巻です。
今度は「わり算」と「ひき算」。

いや、これはすごいです。
感動しました。


「わり算とひき算」ってことになってるけど、ほとんど「わり算」の話。「ひき算」はあとの方にちょろっと出てくるだけ。普通、学校では「たし算」→「ひき算」→「かけ算」→「わり算」の順番に習うんだけど、橋本さんの本では「たし算」→「かけ算」→「わり算」→「ひき算」の順。

あれ?って思うかもしれないけど、この本を読むと「そっちの方が自然」な気がする。
「かけ算」って、同じ数を何回も足していく「たし算」のバリエーションで、「かけ算」がわかれば、「わり算」はその反対というか、逆の考え方になるわけでしょう。
で、この『いちばんさいしょの算数』の1巻と2巻ではひとけたの整数(つまり1から10)しか扱わなくて、「あまりの出るわり算」を勉強すると、そこには自然に「ひき算」の考え方が出てきている。

「こんなこともうわかってるでしょ?」で、「ひき算」の勉強はおわり。

その代わり、「わり算」の勉強はかなりくどく、しつこく、教えてくれます。

「わり算」には「あまりの出ないわり算」と「あまりの出るわり算」があって、「この問題はそのどっちなのか」印がついているわけじゃない、それがめんどくさくて、何か「わり算は卑怯な感じがする」んじゃない?

こーゆーふうに言われると、「確かになぁ」って思うよね。
「かけ算」だと、たとえ数字がどんなに大きくなっても、整数同士ならちゃんと「答え」がきっちり出るんだけど、「わり算」の場合「割り切れない」って奴があって、小学生だと「あまり」を考えなくちゃいけないし、もうちょっと大きくなると「小数」だの「分数」だのを考えないといけなくなる。

「割りなさい」という問題なのに、その答えが「割り切れません」なんだもん。
できないことをやらすなよ!みたいな(笑)。

実は「わり算」は「わるもの」ではないって、橋本さんが教えてくれる。
「わり算」というのは、「そこには何がいくつあるの?」と「その数のなかみをしらべる」ものであって、「あまりのあるわり算」というのは、「そこには何がいくつあって、そしてそれだけですか?」というふうに考えるものなのだと。

たとえば、「6÷3=」という「わり算」は、「6の中に3はいくつあるの?」という問題です。
「6の中に3は2こあって、そしてそれだけ」だから、答えは「2」。

6=3×2 だから 6÷3=2

右の式も左の式も、6→3→2 という数字の並びは同じです。

じゃあ「6÷4」はどうでしょう。
「6の中に4は1こあって、そして?」
4が1こだけでは当然6にならない。6の中に4は1つあって、そしてその他に「2」がある。

6=4×1+2 だから 6÷4=1あまり2

これも、6→4→1→2 という数字の並びがちゃんと同じになっている。

おおおおおおおっっっっっ。
なんか、初めて「あまりのあるわり算」というのを理解したような気がする(笑)。
橋本さんはこれを延々とやってくれるのよ。
1から10までの数のなかみを調べてみようね、って、延々とわり算の練習をする。
さすがに最後の8、9、10になると「答えは自分で考えて書いてみようね」にもなるし、「かけ算の九九」を使って考えることもできるよ、という話も出る。

そして「7のわり算」のところが!
もう、ほんとに感動的なのだ。
「7」って、嫌でしょう?
見るからに割り切れそうにないもん(笑)。

橋本さんはこう言います。
「7は7でしょ?」と思っていませんか?「7は7なんだからそれでいいじゃないか」と思っていると、そのさきのことはなんにもわかりません。

そしてこうも言います。
どんなことでも、「めんどくさいんだもん」ですませてしまうと、なんにもできないまんまです。算数だっておなじです。

なんか、感動してきませんか?

ちゃんと考えればできるはずなのに、「めんどくさい」と思っていると、かんたんなこともできません。自分でやらなくちゃいけないことは、自分でしなければいけないのです。

これ、算数の本です。
人生論の本じゃなくて(笑)。

どうして橋本さんが、「世界を救うより算数のできない子どもを救う方がずっと大事だ」っておっしゃるのか、よくわかった気がします。
そりゃもちろん、算数はできなくても、国語や理科やその他のことを「考える」のが好きな子はいると思うけど、「考えればわかる」「やればできる」っていう「達成感」というか「腑に落ちる感」は、算数が一番手っ取り早く味わえるんじゃないかな。
だって、「国語」の読解問題なんて答えがあってなきがごとしっていうか、「感想」に「これが正解」なんて本来ないでしょう?

「答えが一つ」で「決まってる」ってことは、悪い側面もあるけど、「わかった!」っていう達成感は得やすい。
世の中のことは「答えがわからない」方が圧倒的に多くて、だから、私は「答えがわかる」算数がすっきりして好きなんだけど、「わかった!」っていうあの喜びって、すごくいいでしょ?
「あ、そうか!」ってひらめいた時の、あの感覚。

それで「考えるくせ」がついたら、たとえ答えのはっきりしない問題でも、「考えれば少しはわかるかもしれない」と思って、あれこれ考えることが苦じゃなくなる……かもしれない。

「どうせわかんない」とか「そんなのめんどくさい」ですませたら、わかるものもわからないんだもんね。
内田樹先生の『下流志向』だったかに、「今の若い人はわからないことがいっぱいあっても平気。それを気持ち悪いと思わない」みたいなことが書いてあったんだけど、それって、「わかることの気持ちよさ」を知らないからじゃないのかな。

ともあれ。
橋本さんはやっぱりホントに素晴らしいです。

そして次回3巻は「ふたけたいじょうの数」。
早く出ないかな♪