息子は小学四年生。
ちょうど最近、国語で「文のほねぐみ」というのを習ったらしい。三年生の時にも、「くわしくする言葉」というので修飾語について勉強したり、「主語」「述語」という用語は使っていないみたいだが、そーゆー「日本語の文法」について、少しずつ学校で習っている。

で。
うちでは毎日ゲームをする前にドリルをやることになっている。それで、昨日のドリルがその「文のほねぐみ」の単元だったのだが。

「(例)にならって、次の文の中から『何が』−『どうする』に当たる部分を抜きだしなさい」という問題(つまりは主語・述語を答えなさいってことだが)で、見事に『何が』の部分が全滅。
これまでにも、こーゆー系統の問題では間違いが多かったのだが、見事に3問とも不正解だった。

息子は私と同じく活字中毒者で、大人向けの本だって読めるぐらい「読む力」がある。
なのに、「主語」がわからないらしい。

問題1
「わたしは弟のわすれ物をとどけた。」

これの『どうする』は「とどけた」で、それはちゃんと正解しているのだが、『何が』のところに「わすれ物を」と書いている。
おいおい、「を」って書いてあるじゃん。

問題2
「兄が新しいボールペンを買った。」

『何が』の答えに「ボールペンを」と書いている。
だからそれ、「を」だって。

問題3
「うさぎがおいしそうにえさを食べている。」

息子の答えは「えさを」。
だから、「を」でしょ、それは!

私は息子に、「何が」って聞かれてるんだよ。「誰が」とか「何が」ってところを抜き出すんだよ、と言って問題1の答えは「わたしは」だよ、と教えた。

すると息子。
「だって“文のほねぐみ”やろ。“それがないと文にならない重要なとこ”やろ。『わたしは』はいらんやん! 『わたしはとどけた』じゃ何のこっちゃわからんやん」

……いや、そりゃ、確かに、そうですけど……。

普通に話してる時は、「わたし」「あなた」は言わない方が多いので、君の気持ちはわかるんだが。
しかしテストじゃ「わたしは」って書かないとダメなんだよ。ううう。どう説明すればいいのだ。

主語・述語という考え方自体、英語の文法にならって日本語を解析した結果、という話があって、日本語の文法は「S+V+O」式では説明ができないことが色々ある、らしい。

有名な、三上章先生の『象は鼻が長い』
さて、この文の主語はどれでしょう?
「象」ですか?
「鼻」ですか?

この文章は、「象の鼻は長い」と言い換えられる。
「長い」のは「鼻」なんだから、主語は「鼻が」だということになる。
でも、「象は鼻が長い」という文で話者が伝えたいのはどういうことか。この文章で一番重要なキーワードは「象」じゃないのか?
「は」という助詞は、主題を提示する。
もしも日本語に、「鼻長し」とかいう一語の形容詞があったとしたら、「象は鼻長し」という文が成り立って、この文の主語は「象は」だと言うことができる。

私は三上先生の本は読んだことがないんだけども(言語学専攻とは思えんサボリ学生だ)、三上先生は「主語を抹殺した男」などと言われたりしている。
抹殺も何も、「主語」っていう概念が日本語じゃよくわかんないっていうか。ねぇ。

『「わたしは」はいらない!』って小学生に断言されちゃうぐらいなんだし。

むしろ英語で「S+V+O」を習ってからの方が、日本語の「主語・述語を抜き出せ」問題も、解きやすくなるような気が。

今年の4月には『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ 410) という本も出ている。
これまた未読だけど、でも「脳科学的にも主語はいらん」と言われると、「へ〜」というか「やっぱり」というか。

論文とか新聞記事を書く時には「何が」ということはしっかり明示しておかないと困るけれども、しかし日常会話的には「動作」や「行為」の主体を明示することはそんなにも重要でないというか、必要でないような。
「主体」を明示しないという「日本語」のシステムは、「誰も責任を取らない」、そもそも「誰が一番偉いか(つまり誰に責任があるか)」がわからない日本のシステムと密接に関係している、とも言えるかもしれない。

まぁ、息子の国語の問題の場合、「主語」とは言ってないし、「何が」って聞かれてるんだから、少なくとも「が」が使ってある文章だったらそこを抜き出せばいいじゃん、って思うんだけど……そーゆーふうに教えていいんだろうか?