すぐハマってしまう私、すぐ『女王の百年密室』の続編を買った。
日光旅行の際、新幹線の中で読もうと思って持っていったのだけど、行きはガイドブックを見ててあまり読めず、帰りも寝てて読めず。
ローカル線に乗り換えて、「さぁ読もう」と取り出したら横から息子に引ったくられた。
そこに字があれば何でも読む息子、どんどん読み進んでいた。途中から……。

でも面白かったらしい。
センテンスが短くてテンポがいいので、子どもでも読みやすいのかもしれない。
主人公ミチルとそのパートナであるウォーカロン(アンドロイドみたいなもの)のロイディとのやりとりが面白いし。

今回も、外部と隔絶された“島”が舞台。
やっぱり女王がいる。
そしてやっぱり殺人事件が起こる。

今回の主題は、肉体と心の関係、といったところだろうか。人間と機械はどう違うか、というのもある。

『女王の百年密室』の方でも、ミチルが「人間だって機械の一種だと思う」と言っていて、今回は女王様が「その時には機械が人間になる」と言う。

“その時”がどの時かというと、「頭脳も機械で代用できるようになる時」だ。

どんなに外見が人間に似ていて、運動機能が人間そっくりにできていたとしても、ロボットには“心”がないから“人間”ではなくしょせん“機械”だと、まぁ普通は考える。
じゃあロボットが“心”を手に入れたら“人間”になるのか。“生命体”になるのか。
“生命体”であるためには、“生殖”機能もいると思うが、別に“赤ちゃんロボット”を生む必要はなくて、自分のコピーを作る能力があれば、それでOKかも。

ロボットを考える、ということは、“人間”を考える、ということになる。
肉体だけが生きていて、“心”がない、いわゆる「意識不明で寝たきり」の人や“脳死”の人はもう“人間”ではないのか。
逆にもし、肉体がなくなっても“心”だけが何らかの方法で存続できるとしたら、それを“人間”と言ってよいのか。

“肉体”はただの容れ物に過ぎなくて、“人間”の“本質”は“心”にこそあるものなのか。

どうして肉体が消えたら、一緒に心も消えてしまわなければならないのか、という文章が、この本か前の本かに出てきていた。
それは、やっぱり、「セットで人間(というか1個体)」だからじゃないだろうか。
♪頭ばっかりでも体ばっかりでもダメよね、プチダノン♪である。

とても色々なことを考えさせられて、楽しい。
とても深い問題をはらんでいるけど、とても読みやすいからすごい。

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