先週、図書室に新しく入った
『ナルニア』が箱入りだったという
を書いたけれども、そういえば今、
箱入りの本って滅多に売ってないよね。
『ナルニア』とか、『モモ』とか、
岩波から出てる不朽の名作児童文学は
未だに箱入りだけど、新刊で箱に入っ
てるのなんて見たことがない。

本って、昔は箱に入ってたんだなぁ。

「箱入り娘」って言葉も、ひょっと
してここから来てるとか?

昔うちにあった
『少年少女世界文学全集』
も箱に入っていた。
父の『吉川英治全集』とか、『国民百科
事典』なんかも箱入り。
全集は今でも箱入りなんだろうか?

っていうか、全集って今でも個人で
買う人いるんだろうか。
『百科事典』なんてねぇ。
今じゃCD-ROMかなぁ。
嫁いできたら、実家にあったのと同じ
『国民百科事典』があって驚いたけど。
そういう時代だったんでしょうか。

『少年少女世界文学全集』の方は、
父の妹(私より17ぐらい年が上)の
ために祖父が買ったもので、
全50巻という壮大な代物だった。
あんなの個人で買った人、どれくらい
いたんだろう。

私がものごころついた時、祖父は
病気でほとんど寝たきりになっていて、
祖父がどういうつもりで文学全集を
買ったのか、そもそも祖父がどう
いう人なのか
、私はほとんど知らない。
祖父の死後、やっぱり箱に入った
『古典文学全集』だの『日本思想大系』
だのという難しげな本がどーんと家に
来て、ますます「おじいちゃんって
一体…」という感を強くした。

生前の祖父のことで覚えていること
といえば、達筆だったことと、
学校の事務員だか用務員だかをして
いたということぐらい。
戦争中に病気で両脚の膝から下を
切断していて、義足をつけていた。
弟が生まれる時、預けられていた祖父
の家で義足を見せてもらった記憶がある。

父は15から家族を養うために働いて
いるし、どう考えても貧乏だったはず
なのに、子どものために50巻もの
文学全集を買う
なんて、
そうそうできることじゃないよなぁ。

肝心の叔母さんはそんなにも本が好き
ではなかったらしく、私が生まれると
全集はガラス戸のついた古めかしい
書棚ごとうちに来て、仏壇を入れる
スペースに鎮座ましましていた。

私が大学に入るぐらいの時に、本物の
仏壇を入れるために文学全集は処分さ
れた。図書館に寄贈したのだけど、
古かったし、きっと開架に並ぶことは
なかったろう。

ある意味、本物の仏壇以上に祖父の
魂のこもったものだったような気がする。


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